賢志のブログ

丸野賢志詩集

心どこかに-6日目  

  今宵も、夢見悪くうなされて目が覚めました
キャンドルに火を灯し、そっと汗を拭います
心静かに経を読み、灯りを頼りに急須を探します
心静まり灯りに視線を投じると
ゆらりゆらりと風に揺れる炎が床に影を落としています
こんな時間を暫しゆるりと過ごした後に
書斎の明かりを付けに立ち上がります
書きかけの原稿に目を通し
おもむろに書斎の座椅子に腰をおろし
吸いかけの湿気た煙草に火を付けまて
書きかけの原稿紙にペンを走らせます
 花謳う
       こころしずかに  
           詩をよみ
                風に舞い散る  
                 儚き生命(いのち)よ
来る日も来る日も、風に耐え忍びながら
健気にたなびく秋桜も散る時を知り
色あせていく姿にこの世の無常を感じます
走らぬペンをそっと止め
深い祈りを捧げます
世界平和と一切衆生の幸福のために                  
                                                          合掌

アンネの日記-4

  「アンネの日記」-キティー(日記の友)への手紙  1942年6月20日 土曜日   
    この日の日記を境に、日記帳であり無二の友である「キティー」に、その日起こった出来事や、日常について心を開いて語り始めます。  
   時は、第二次世界大戦中、ドイツ軍がオランダを占拠、ユダヤ人狩りと称して、悲惨な生活を強いていました。
そんな中にあって、唯一の希望はユダヤ人学校に通う多くの友との交流、そして何より、親友「キティー」との出会いであったことでしょう。
仮想の友「キティー」の存在は、彼女自身の心の中に住まう、もう一人の自分であったに違いないでしょう。  
      「アンネの日記」-学校生活  1942年6月21日 日曜日 につづく

アンネの日記-3

 「アンネの日記」-日記帳  1942年6月20日 土曜日(後半)  
  後半では、当時反ユダヤ主義を掲げた、国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)からの迫害を逃れるため、ドイツからオランダのアムステルダムに亡命した経緯と移住後の情勢をこう綴ります。 「ドイツに残った一族(中略)ヒトラーのユダヤ人弾圧政策の煽りをまともに受け、不安な生活を続けていました。1938年になると、あちこちでユダヤ人虐殺事件が起き、(中略)先ず戦争、つづいて降伏・・・」この頃になると、ドイツ軍がアムステルダムを占拠し、ユダヤ人弾圧政策・禁止条例を発令し、ユダヤ人の生活は著しく制限されるようになります。娯楽施設・公共施設の立ち入り禁止や、外出禁止令等、正常に生活を営んでいく上で支障をきたすものでした。世情の不安は、13歳の少女の心にどの様に影響を齎していったのでしょう。
  「アンネの日記」-キティー(日記の友)への手紙  1942年6月20日 土曜日 につづく