賢志のブログ

丸野賢志詩集

遅咲きの恋


 これまで多いとは言えないが、それなりの恋愛を経験してきた。

人の心に触れることは、その人の個性を受け入れていく上で、大切な事だ。

これまで多くの人と言葉を交わし、多くの心のかたちを見てきた。

本当に数えきれないほどである。

時にはその人の深い悲しみに触れ涙することしか出来なかったこともある。

そんな時、私は常にその人の希望の種となる確信へと導いてきた。

その人笑顔と確信に満ちた喜びを顕すまで常に寄り添い続けた。

その関係性の中に恋愛という不安定な感情はなかった。

言い換えれば親が子供に抱く無償の愛を真の愛と確信していたからだ。

その愛の中には苦悩も・喜びも分かち合う同苦の心が心肝にあったからだろう。

 恋愛の感情に流され自分を見失ったことがなく、自分は冷徹な心の持ち主であるのではないかと自分を責めたこともある。

自分を責めても答えなど出るはずもなく、その人との関係は友の域を超えることはなかった。

そんな自分が、FBで一人の癌末期の彼女と出会い、多くの語らいを重ねる中で、男と女の恋心を教えられたのである。

たわいのない会話が、何よりも楽しくて、嬉しくて、その人を心から愛おしく思える。

同苦する気持ちはかつてよりあったが、同情の気持ちよりも、愛する気持ちが優位に働いたのだ。

その人が望むことは、何でもしてあげたいと思えるようになり、遠く離れた地を訪れるようになり、愛を確かめ合う関係もあった。

そんな中、何より辛い事は、その人が苦しみの渦中にあっても、隣に居て連れ添ってあげられないことだ。

電話越しにむせび泣くその人を抱きしめてあげられないことだ。

自分の不甲斐なさに何度涙したことだろう。

これが恋という感情何だろうか?

今日も一人、自分に問い続ける。

明日も、明後日も、その後も自分に問い続け語り続ける事にする。


最後まで読んで頂いた方、本当にありがとうございます。



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