賢志のブログ

丸野賢志詩集

慈悲とは  

   慈愛とはあらゆる人に平等に注がれる最高の友情,友愛を意味すると某辞典に書いてありました。 私は幼少時代、食糧難のおりに母親から命を繋ぐ糧を兄弟3人で分かち合う事を教えられました。 自分の子どもの生命を守り抜きたいという、強い母性から生まれてきた感情そのものの行為でした。 私も数十年の時を経て2人の子どもの父親として、自己犠牲の愛を子どもに与えてきました。 しかしある時に、下の長男が一つの食べ物を「パパにあげる、お残しは許しませんで」と私に少ない食べ物を半分分けてくれたのです。 この子の心に人を思いやる精神と、私を守りたいという気持が本能的に芽生えた事を確信した瞬間に、思わず号泣しました。 子は親の鏡と言われますが、親の背中を見て子どもは自己の行いを振り返るのだと感じました。 そして自己犠牲だけでは人を守る事は出来ない、その事を子どもから学びました。  まさしく自己犠牲による愛情は「溺愛」と呼ばれるものと成るでしょう。 時には、子どもの立場からは押し付けの愛だと感じられてしまうことがあるかもしれません。  ここまでは、親と子の関係を論じてきましたが、自分と友だちとの関係に当てはめてみると、その「愛の形」は変わります。 育ってきた環境、親子間の関係性は家族単位で見ると様々であり、親の子育ての考え方、子どもの個性はそれぞれ違います。 「桜梅桃李」の生き方を尊重し、賞賛していく事、それを私は「友愛」と呼んでいます。 その友愛を大切に育んでいくところに、慈悲の連帯が築かれていくのだと確信しております。  最後に慈悲とは「究極の愛」であり、どこまでもその人を愛し、苦楽を共有し、その人を守れる強さを具えていくところに、折伏の慈悲行は実を結ぶと思います。


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